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![]() ボクの人生における最初の記憶は、大切な人たちと別れ、車に乗せられるところから始まりまった。2歳の時、4人兄弟の一番下であったボクだけが、兄弟から離され、泣き叫ぶボクは車に乗せられた。 長い間、車に揺られ、泣き疲れ、いつしか寝てしまった。目が覚めると、ソファの上だった。部屋の机の中央にパンがたくさんつんであり、食べるように言われたが、食べたかどうかは、記憶にない。 再び目が覚めると、真っ白なシーツの敷いてあるベッドの上だった。窓から外を見ると、真っ青な青空に雄大な富士山の姿がくっきりと浮かび上がり、圧倒された。 そこは、湖の湖畔にある、カトリックの幼児だけの養護施設だった。 親たちが離婚し、母親に引き取られたボクたち兄弟は、母親が病気で入院したため、それぞれ別れて施設に入所することになった。長姉は女の子ばかりの養護施設に、兄二人は男の子ばかりの養護施設に行き、ボクだけが一人、隣の県のホームに行くことになった。 ボクが親を思いだし、泣いたかどうかは覚えていない。たぶん、泣いたのだろう。しかし、そのうち、親や兄弟のことは忘れてしまったようだ。ただ、生活はそれなりに楽しいものだった。 ホームは、ボクの家になった。黒い服を来たシスターがボクたち子どもの世話をしてくれた。神に仕えるために、修道院に入った彼女たちは、それこそ、聖母マリアのように、いつも怒らずに、にこやかにボクたちの世話をしてくれた。3、4年ほどいたが、怒られた記憶はほとんどなかった。子どもは全部で40〜50人いたのだと思う。学齢ごとにクラスに分かれ、クラスごとに生活をしていた。 寝室は、ベッドが20台ほど並んでいた。寝しなにシスターがしてくれるお話が、とても大好きで、布団から顔だけ出して、真剣に話を聞いていた。シスターはやさしい顔で、いろんな話をしてくれた。 お話が終わっても、なかなか寝ない子には、「いつまでも 起きていると灯台のおじさんが、目をサーチライトのようにギラギラさせながら、子どもをさらいに来るよ」と聞かされて、慌てて頭から布団を被り、寝たふりをしているうちに、いつのまにか寝てしまった。ボクは、絶対に灯台のおじさんを見ようと、布団をかぶりながらも、いつまでも起きていた。でも、いつしか寝てしまい、灯台のおじさんを見ることは出来なかった。 広い園庭で毎日のように遊ぶのが大好きでした。富士山の雄大な姿が真正面にそびえ、富士山を見ているだけで、なぜか心が和んだ。
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